Geschichte

ザッハトルテの歴史

ザッハトルテの物語は1人の少年料理人から始まりますが、今日の世界的な知名度を得るまでには彼一人ではなくその一族の歴史が大きく関わってきます。

時は19世紀、オーストリアの外相としてウィーン会議を主宰したオーストリア・ドイツの政治家クレメンス・フォン・メッテルニヒが、宮廷の厨房に自分と貴族のための特別なデザートを作るよう依頼したことから始まります。

今夜私に恥をかかせることの無いように」という念押しがあったものの、その日は厨房のシェフが病気であったため急遽下級の料理人フランツ・ザッハー(当時16歳)が代わりにシェフを担当することに。

その時提供されたのがザッハトルテの原型だったとされています。
当時ゲストには非常に好評でしたがしばらくはそれ以上の進展はありませんでした。

その後料理修行を終えたザッハーは、現在スロバキアの首都ブラチスラヴァとして知られるプレスブルクに移ります。
プロとしての経験を積んだ後にウィーンとブダペストの間のドナウ船でさらに経験を積み、1848年ウィーンに戻りザッハーはヴァイブルクガッセ4番地にデリカテッセン兼ワインショップを開店。

その時に販売され大好評を博したのが「Schokoladetorte des Franz Sacher(フランツ・ザッハーのチョコレートケーキ)」です。

その後時は流れ彼の息子エドゥアルト(Eduard Sacher)が宮廷菓子店デメル(Demel)のもとで修業を積み、この間に今日の形のザッハトルテを完成させました。
ザッハトルテは最初デメルで提供され、その後1876年にエドゥアルトによって設立されたホテルザッハーでも提供が始まりました。

それ以来、このケーキはウィーンで最も有名な名物料理の1つと見なされています。

ザッハトルテの裁判

大人気を博したザッハトルテはその完成に至る経緯が理由で1つの大きな裁判を引き起こすことになります。

オリジナルのザッハートルテ」という商標の使用・販売をめぐって、ホテルザッハーと宮廷菓子店デメルとの間で法的な争いが勃発したのです。

計7年もの年数を要した長きにわたる裁判では商標の使用、アプリコットジャムの位置、バター・マーガリンの使用等の争点もありましたが、最終的にはホテルザッハー・デメル双方に異なる名称のザッハトルテを使用する形で決着がつきました。

ホテルザッハーが作るものを「Original Sacher-Torte」、デメルが作るものを「Eduard Sacher-Torte」という名称で販売されることになったのです。
後者の「Eduard Sacher-Torte」は現在一般的に「Demel's Sachertorte」と呼ばれています。

エンブレムの違い

両者のザッハトルテで見分けられる大きな特徴がエンブレムです。
ホテルザッハーが提供するザッハトルテには「HOTEL SACHER WIEN」の名が入った丸型の、デメル提供するザッハトルテには「Eduard」の名が入った三角型のチョコレートエンブレムがそれぞれ装飾されています。

レシピの違い

2020年までは双方のレシピにも決定的な違いが1つあり、ホテルザッハーが作るザッハトルテではスポンジの間と上層にアプリコットジャムを、デメルのザッハトルテではスポンジ全体にジャムを塗るという違いを見分けることが出来ました。(これはカットされたケーキの断面を見ると非常に分かりやすい点です)

しかしこれは2021年以降デメルのザッハトルテでもスポンジの間にアプリコットジャムが挟まれるレシピに変更となり、厳密なレシピは異なるものの上述のエンブレム以外にはその外観に大きな違いはなくなりました。

今日の「ザッハトルテ」の商標

上記の様な裁判の歴史はあくまで「オリジナルのザッハトルテ」の権利や商標について繰り広げられてたもので、「ザッハトルテ」という名前自体は(「Sacher」の名が入ってはいるものの)商標というよりはこのチョコレートケーキ自体の名称として認識されています。

そのため今日ではホテルザッハー・宮廷菓子店デメル以外にも多くの企業やカフェ・レストランがザッハトルテという名のチョコレートケーキを提供しており、カフェ「aida」のザッハトルテやCoppenrath & Wiese社の冷凍ザッハトルテ等、味や形・材料などに違いや個性のあるものが多く存在します。